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「 挨拶廃止 」

昨夜は夕飯をすますと、食器洗いもせず風呂に入ってバタンギュ〜だった。

やっぱり単純作業とはいえ、老体にはこたえるもんである^^;

しかし、もっとご老体が同じ職場にはウヨウヨ、黄門様の団体ツアーみたいに働いているので不平はない。

今日は休みだったから、ホントに助かった。

しかも、木本管制から電話が入り、「明日の時間間違えて伝えてしまいました」という。

7時から放置自転車監視員を務める予定が、9時から18時までに変更になった。

朝遅くなる分には大歓迎である。

「それと〜〜…31日はどうですか?」

木本管制には月末は出られないって言ってあるのに。

「いや、ひょっとしてスケジュールが変わってないかなって思って、訊いちゃいましたあ」

現場数が多いところへ、人員を配置する木本管制の仕事も大変だと想像がつく。

ココは男だ、キッパリ「変わってません」断った^^;

休み休みやってかなかいと、身体がまだ順応していかないもん。

昨日の日記「今日のパトロ〜ル」に、市営駐車場の入出庫誘導を務めている女性警備官のことを書いた。

彼女が印象に残ったのは、その明るい挨拶だ。

なんとも清々しく、好印象をもった。

ところが先日、新聞の読者投稿欄に「挨拶はやめさせて」という記事が載ったという。

投稿者は小学生の息子を持つ父親なのだが、最近不信な者に声を掛けられ子供が悲惨な事件に巻き込まれる例が多発している。

そこで、無暗に面識のない人間とは挨拶もしない方が安全を守ることになるというのだ。

投稿者はマンションの住人で、その記事が掲載されてからマンションの管理組合でも、この問題が討議されることになった。

賛否両論あったものの、このマンションでは知り合いであっても挨拶は不用にしたという。

ヴェトナム人夫妻の娘、リンちゃん(9)が何者かによって殺されるという悲惨な事件が起きたばかりであるが、親が我子を喪うほどの悲劇は他にない。

であるなら、少しでも悲劇のキッカケを防ごうとするというのも親の心理かもしれない。

しかし、挨拶の廃止というのは、何か納得するには腕を組んで首を傾げてしまう。

「おはよ!」「いってきます!」「こんにちは」「ただいま!」

子供の明るい挨拶は気持ちを前向きにしてくれる。

そして、子供の頃に挨拶を廃止されれば、この子達は一生挨拶をしない人間になってしまうんじゃないだろうか。

だいぶ以前の話になるが、学校給食を食べる際に給食費を払っている我が子に「いただきます」を言わせるなと学校に捻じ込んだ親がいたというのは有名な話しだが、挨拶をなくすということは礼儀を失するのと同じではないか。

ただ、そこまで親を追い込んでしまう犯罪が本当に多い。

その犯行を犯した人間にも、親がいるということがなおさら思いを複雑にする。

他人を憎むことは簡単に出来るが、他人を許すことは並大抵の努力では適わない。

子供達の「挨拶廃止」。

どう考えますか?

その人の置かれた立場に思いを向けると、簡単に是非を語るのは難しいと思います。

ただ、賛否ではなく、淋しいなぁ〜って思ってしまいました。