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憧れの押し付け

今日は静岡から神奈川に引っ越す前に会う約束していたシホ先輩とお食事(ランチ)をしました。

僕が中学2年生の時初めて一目惚れした二つ上の先輩だった。あの頃はお堅い学校と育ちのいい周辺に囲まれ優しいウエハースのような世界の中で生きていた僕にとって茶髪、パーマ、イヤホン、で電車登校をしている先輩がカッコよくまるで神のように憧れの存在だった。もちろん声をかけることなんてほとんどできず、周りの力を借りながらようやく挨拶ができるくらいの神だった。今思うと、僕の中で見えていた(ストーキング)外見と少しの行動から勝手に性格を作り上げ神格化していたのだろうと思ってる。

今日は、そんな先輩と3度目のお食事だった。

お互い歳を重ねたおかげかいろんなことが落ち着いて話すことができ、ようやく性格や趣味趣向がわかってきた。。。香辛料が好きでパクチーなんかも好き(世間でいうパクニストなんていうらしい。日本のパクチーは硬いなんて言ってた)虫が好きでケーキに詳しい、化粧は目の周りくらいで薄い、ヒールを履き少しアジアンな感じも匂わせる、優しい口調で綺麗めで落ち着きがある、挑戦的で外国や転職など軽々としてしまう人だった。

今になって会う先輩は僕にとって少し特別な存在であることには変わりないのだが、先輩の構成している物事がわかるたび嬉しくはなるのだが、なぜか違和感が感じるのなぜだろうか。

やはりそれはあの頃思っていたも見て想像して盛り過ぎていたのかもしれない自分自信の勝手な妄想と食い違っているからである。外見的な変化もあるが、もっと尖って、美しく、近寄りがたく紫に光っていたあの頃と違うからである。

 勝手に理想を押し付け勝手に幻滅してしまうことにひどく申し訳ない気持ちになり悲しくなるのだが、この気持ちにどのように名前をつければいいのかわからない。

しかし静岡という田舎なところに嫌気がするという思いを聞いたとき少し安心した気持ちもあった。かつて思った同じ気持ちだったからかもしれない。少し尖った一面に安心したのかもしれない。

 先輩はこのゴシップや周囲の敏感さや堅苦しさに嫌気をさしてた、都会の情報量の多い日常になれることである程度の情報に無視できるそんな気軽さに生きやすさを感じているらしい。 このように言葉にして言われると以前から自分が思っていたこの息苦しさの答えを教えてくれたような気さえした。都会という便利さや多さ賑やかさ華やかさ最先端なども確かに魅力であるが、この世間の寒さと言ったその感受性に自分がマッチしていたのだとも思う。

もう恋や憧れとは違った感じの先輩。少し寂しい気持ちに勝手になって御免なさいと心から思う。

それでもいつか東京で食虫植物を食べれるお店に行こうと約束できたのは嬉しくも思う。

また会うのだけど、さようなら。